要旨
アルビン・トフラーは遠隔通信技術によって分散する未来図を描いたが、結果としてそうはならなかった。遠隔通信技術の意味とは移動の「選択権」を与えるに過ぎず、必ずしもそれを選ぶとは限らない。私は、今まで分散してとり残されてきた人々にこの技術を利用する場合なら、各人の選択にはかかわらずに「格差解消」になることを見出した。これは農業の遠隔管理や農業自動化に新たな光を当てるものでもある。遠隔通信技術で、現場から離れて仕事ができるようになった時、「事実」としてできるようになるものとは、大都市からの分散ではなく、後述するような形の格差解消なのであり、そのために我々はこれまでの格差解消の考え方も変えねばならない。この事実はアルビン・トフラー以来、今も信じられている分散型の未来観を大きく変えるものになる。
§1
遠隔通信技術の本当の意味
かつてアルビン・トフラーはその著書「第三の波」(1980)の中で、遠隔通信技術を用いて現場から離れて働くことができれば、図-1(A)のように人々は郊外に移動、分散するだろうと説いた。
だが、その後この技術は発達したものの、事実としてこういうことはほとんど起こらなかった。
だが、その後この技術は発達したものの、事実としてこういうことはほとんど起こらなかった。
考えてみればこの遠隔通信技術とは図-1(B)のように、あくまで移動の「選択権」を与えるというものに過ぎない。つまり分散「できる」ようになっても必ずしもそれを選択するとは限らないのである。
【図 -1】
ではこの遠隔通信技術を、その生産手段が動かせないがゆえ、今まで分散にとり残されてきた人々に使う場合を考えてみよう。それは例えば図-2(A)のように農地をその中核都市から遠隔管理するような場合である。この場合はそれは図-2(B)のように、今まで分散にとり残されてきた人々に、その中核都市への集中の「選択権」を与えるものになる。
【図 -2】
そして重要なことは、この今までとり残されてきた人々の場合、集中の「選択権」さえ与えれば、例えそれを選択しなかった場合でも「格差解消」になるという点である。
※ここで「格差解消」とは、今までとり残されてきた人々も都市部と同じ生活が「できる」状態を指す。
※ここで「格差解消」とは、今までとり残されてきた人々も都市部と同じ生活が「できる」状態を指す。
というのは、今までとり残されてきた人々の場合は、その中核都市への移動の選択権を与えて、もしそれでも今のまま残っているのならば、それは「自分の意志であるとみなして」ここで格差解消の状態と考えてよいからである。
つまりはこちらの場合は、「動かせる」ようにさえなれば、各々の選択の如何にかかわらず、必ず格差解消状態になるということができる。
以上より、遠隔通信技術で現場から「動かせる」ようになった時、「事実」としてできるようになるものとは、大都市からの分散ではなく、今まで分散にとり残されてきた人々がその中核都市への集中選択権を得て、動く者も動かないで残る者もいるという形の「格差解消」であることがわかる。
§2
新しい格差解消の考え方
これに関して我々は、これまでの「格差解消状態」の概念を変えなければならなくなる。
これまでは目で見て格差がないことが即ち格差解消状態だった。だがこれは違う。例え目で見て分散していようと、集中への選択権さえ得ていれば、その上で分散を選んでいるのならそれは、格差の解決状態とみなせるのである。
それは即ち、「選択権を得ている」という“状態”をもって格差解消状態と考える全く新しい考え方である。(状態としての格差解消の概念)
それは即ち、「選択権を得ている」という“状態”をもって格差解消状態と考える全く新しい考え方である。(状態としての格差解消の概念)
【図 -3】
例えば図-3(A)の地域では、ほとんどの者が集中するが、自分の意志で残る者もいる。これは双方とも集中選択権を得た上でのそれぞれの選択の結果ならば、これは格差解消状態であるといえる。場所によっては図-3(B)のように全く分散のままであったとしても、それが集中選択権を得た上での各々の選択によるものなら、これもまた格差解消状態といえるのである。
つまり見かけにはこだわらず、あくまで“集中の権利を得ている”という状態をもって格差解消状態ととらえる見方が必要になるのである。
そしてこれは、これまでの所謂、誘導型の格差解消とも全く異なるものだということも認識せねばならない。というのは、これは人口を他の地域から持ってくるわけではなく、その地域に今ある人口はそのままで、今現在分散してとり残されている人々が、その中心部に集中できるようになる(その選択権を得る)という変化だからである。
§3アルビン・トフラー
アルビン・トフラー
未来観の修正
この「集散論」の歴史的意味とは、約40年前アルビン・トフラーが提示した、単なる予測に過ぎなかったものを、「科学的事実」つまり「必ずできるようになるもの」を述べたものに修正したことにある。
以上述べてきたように、遠隔通信技術で人が現場から「動かせる」ようになった時、本当にできるようになるものとは、大都市からの分散ではなく、今まで動かせなかった人々がその中核都市への集中選択権を得て、動く者も動かないで残る者もいるという形の「格差解消」である。そのために我々はこれまでの格差解消の考え方も変えなければならない。
以上述べてきたように、遠隔通信技術で人が現場から「動かせる」ようになった時、本当にできるようになるものとは、大都市からの分散ではなく、今まで動かせなかった人々がその中核都市への集中選択権を得て、動く者も動かないで残る者もいるという形の「格差解消」である。そのために我々はこれまでの格差解消の考え方も変えなければならない。
これは今も続く分散型の未来予想図をくつがえす「事実」に他ならない。
母に捧ぐ
令和元年5月1日
令和元年5月1日
§4集散の変遷
集散の変遷
(令和元年8月3日追記)
以上のことを踏まえて、集散形態の変遷を考えてみよう。
第一次産業中心の分散型社会である。
交通要所等に商業都市ができる。資本主義初期等に見られた形態。
現代の段階である。工業人口の増大と集中、サービス業の発展に伴って巨大都市が出現する。が一方、農村部には動かせない産業が分散して残されている。
こう見ると今述べてきた新しい形態は集散第四段階と定義できよう。
それは今まで分散にとり残されてきた人々もその中核都市への集中選択権を得た形態であり、先程述べたように、集中する者も自分の意志で残る者も混在する。
つまり一見すると今と大きな変化はないように見える。だがそれは格差解消されている状態だという点が大きく異なるのである。
これが、人が現場から「動かせる」ようになった時に、本当にできるようになる社会の姿である。
アルビン・トフラーの未来像を大きく転換するものであることが、ご理解頂けよう。